ライオンズクラブとは、1917年アメリカ合衆国シカゴ市で誕生した。メルビン・ジョーンズにより提唱され発足された。世界約200カ国130万人、日本では11万人を超える会員で構成されている世界最大の奉仕団体です。「We Serve (ウィ・サーブ)われられは奉仕する」をモットーとして掲げ、世界の国々でさまざまな奉仕活動に取り組んでいます。
メルビンジョーンズは1879年1月13日、アリゾナ州フォート・トーマスで生まれた。アメリカが西へと開拓を進め、先住のインディアン諸部族を攻防を繰り返していたころである。
ジョーンズの父は騎兵隊を指揮するアメリカ陸軍大尉だったが、アリゾナのアパッチ族の酋長・ジェロニモの逮捕により、戦闘は終結、家族はミズーリ州セントルイスへ移ることとなる。その後、ミシシッピ河をはさんで対岸のイリノイ州クインシーに転居。クインシーで法律を学んだジョーンズはシカゴに出て保険会社に勤務、1913年に保険代理店を設立した。
アメリカの工業化につれて急激に発展したシカゴでは、共に昼食をとりながら情報を交換し、チャンスをつかもうという会がたくさんあった。ジョーンズが誘われ入会した「ビジネス・サークル」も、実業家によるそうした昼食会のひとつだったが、彼は次第に単なる職業利益を目的とした会に満足できなくなっていく。
意欲、知力、野心によって成功している会員たちの能力を地域社会向上に活用させる、全米的な組織が作れないだろうか。
ジョーンズはアメリカ国内の類似のクラブに呼びかけ、1917年6月7日、これに応じたクラブ代表20人が集まり、シカゴのラサールホテルで最初の会議が持たれた。組織の名称として、ここに参加したひとつのクラブの名前を取って「Association of Lions Club」とすることが決定。ライオンズクラブの誕生である。
同年10月8日にテキサス州ダラスで第一回の大会が開催され、会則及び付則、目的及び道徳綱領が話し合われた。クラブカラーも同大会で決定した。ライオンの身体を彩る黄金色と王者の件にを示す紫である。
紋章が決定したのは1920年のこと。200を超すデザインの中からジョーンズが必要部分を組み合わせたものが原案となった。紋章にはLの字を真ん中に2匹のライオンの頭部が左右を向いて配置され、上部にLions、下部にInternationalの文字がある。Lは法(Low)、自由(Liberty)、労働(Lobor)、忠誠(Loyalty)、愛(Love)、生命(Life)、そしてライオン(Lion)を象徴し、ライオンの一頭は輝かしい過去の歴史を、もう一頭は未来の運動を見つめている。
紋章決定と同年、創立から3年目にしてカナダにアメリカ国外最初のクラブが創立され、ライオンズクラブは国際的な組織となった。その後、1950年代、60年代を中心として国際的拡大を続け、ヨーロッパ、アジア、アフリカなど世界中にライオンスクラブが結成されていった。
1917年6月7日 | アメリカ人メルビン・ジョーンズの呼びかけによってアメリカ合衆国各地から 約20名の代表者が集まりシカゴ市のホテル・ラサールのイーストルームで初会合を行った。 |
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1917年10月8日 | 22クラブの代表者36名がダラス市のアドルフォス・ホテルに集まって第一回の大会を開催し、ここに正式に「ライオンズクラブ協会」の名称を採用した。後に世界最大、最も活動的な奉仕クラブとなる団体が誕生する。 |
1920年3月12日 | カナダ、オンタリオ州ウインザー市にアメリカ合衆国以外の第一番目のクラブが結成され国際協会」となる。 |
1925年6月25日 | 第9回国際大会においてヘレン・ケラー女史が「ライオンズよ!闇を開く十字軍の騎士たれ」と素晴らしいスピーチをして以来、眼の不自由な人を助け、目を守る運動は我々の奉仕活動の大きな柱となった。 |
1926年~1927年 | 中華民国、メキシコ、キューバが加入国となり、1183クラブ59,965名となる |
1935年8月6日 | パナマが加盟して中央アメリカが我がファミリーの一員となる |
1936年1月20日 | コロンビアが南米ではじめてライオンズの地図に載る |
1948年3月24日 | ライオンズ精神は大西洋を渡ってスウェーデン、スイス、フランスに灯をともした1950年代半ばまでに中東、アフリカが加わりさらに世界的なものとなる |
1952年3月5日 | 当時険悪な対日感情を抱いていた、フィリピンのマニラ、ライオンズクラブが東京ライオンズクラブを結成し3月21日 日本で初めてのライオンズクラブとして、外国人メンバー20名を含めて、57名で発足する。 |
1989年2月 | 東欧のハンガリーにブダペスト・ライオンズクラブが結成され、ライオンズクラブ国際協会は旧共産圏にクラブを結成した最初の奉仕クラブの組織となる。その後、 東欧諸国の国家体制の変革もあり、ポーランド、エストニア、チェコスロバキア、ルーマニア、ユーゴスラビア、ロシア共和国、リトアニアなどにクラブが結成されている。 |
このモットーは1954年、国際協会が募集したコンテストの応募作の中から、採択されたものである。主語が私ではなく、われわれであるところにライオンズクラブの特徴がよく表れている。皆が力を合わせて人道奉仕を行う。助け合う。そういう組織のモットーである。
日本は1952年3月15日、東京ライオンズクラブの誕生により、世界で35番目のライオンズ国となった。東京ライオンズクラブをスポンサーにしたのはフィリピンのマニラ・ライオンズクラブで、ライオニズムの真髄を示すに足る出来事であった。
東京ライオンズクラブの誕生後、横浜、神戸、大阪と、次々とライオンズクラブが結成され、1953年には302地区が誕生、初代地区ガバナーは日本ライオンズクラブの誕生に尽力したライオン石川欣一氏(東京ライオンズクラブ)が選出された。日本の高度経済成長の波にも乗って、ライオニズムの火は広がっていった。
ライオンズクラブでは、奉仕活動のことをアクティビティと呼びます。日本のライオンズクラブは1952年の誕生以来、時代のニーズに合わせながらさまざまなアクティビティを展開してきました。歴史的な事業も含め日本のライオンズクラブが取り組んできたアクティビティのうち主要なものを紹介します。
麻薬・覚醒剤などの薬物およびアルコールによる害毒に関する青少年のための教育プログラムを企画・推進するとともに、青少年の健全な成長を図る。
糖尿病の危険に対する人々の認識を深めるため、ライオンズは、教育と早期発見に重点を置いている。無料検診を伴った講演会、セミナーはその事業の一例である。
幼児緑内障検診所、アイバンク、リハビリテーション・センターの設置。盲学生のための作業場設置と就職斡旋。盲導犬その他歩行補助器具の供与。図書館、レクリエーション施設のスポンサー。
聴力検診、各種リハビリテーション施設の設置と補聴器具の供与。騒音公害の問題は最大の関心事である。
大気、水質、土壌などの汚染の追放を目的とした地域社会活動計画の推進。環境改善のための立法措置の支援。
レオクラブの目的は、地域社会の青少年にリーダーシップをはぐくみ、経験を積む機会を与えることにある。各レオクラブはライオンズクラブによってスポンサーされ、1名のライオンズクラブ会員がレオ顧問に任命され、指導に当たる。
青少年の国際的なホーム・ステイを行うライオンズクラブのYE(青少年交換)は青少年の視野を広め、国際的理解と友情を促進している。
ライオネスクラブ・プログラムは、世界各地の女性に、所属クラブを通して恵まれない人々に奉仕する機会を与える。ライオンズクラブ会員の夫人その他奉仕に関心を持つ女性たちは、ライオンズクラブ会員と同様に多種多様の奉仕事業に携わっている(男性の入会も可)。
国際親善。相互援助。各種交換計画。国際連合の人道主義的目的への支援。
ライオンズクラブの会員になるための資格は、善良な徳性の持ち主であり、地域社会において声望のある成人であること。そして会員の入会は招請のみとされている。
会員資格の成人男性の限定も1987年の第70回国際大会、台湾・台北市においての女性ライオンズクラブ入会が可決され、男子の2文字が削除された。更に2003年には国際理事会が、国際協会公式出版物の"he(彼)"という英語を"he or she(彼または彼女)"に、"chairman(チェアマン/委員長)"を"chairperson(チェアパーソン)"に改めたることを決議した。