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山科・醍醐の歴史

京都の東の玄関口 山科

山科区総合庁舎 山科区総合庁舎

山科周辺は古くから交通が盛んであり、東山を越える日ノ丘峠、大津宿へ抜ける逢坂関が東海道の要所として知られていました。東海道の街道町として江戸時代には特に栄えました。また山科は古代より政権との結びつきが深く、669年には中臣鎌足によって精舎(山階寺)が作られ、7世紀末には天智天皇陵などが造られました。 それは今でも中臣町や陵陵など現在の町名にも名残を残しています。

室町時代には蓮如によって山科本願寺が建てられ、長大な土塁に囲まれた寺院群と寺内町が山科盆地の大きな面積を占めるようになりました。1532年の天文法華の乱により山科本願寺は廃墟となりましたが、現在でも山科中央公園などに当時の土塁跡が現存しています。

現在でも名神高速道路東インターチェンジ、国道1号線、東海道本線、新幹線など山科は京都の東の玄関口として大きな役割を果たしています。

山科区の年譜
受賞回 受賞者名
1889年(明治22年)4月1日 町村制施行に伴い、宇治郡山科村が成立。
1926年(大正15年)10月16日 山科村が町制施行し山科町となる。
1931年(昭和6年)4月1日 宇治郡山科町が京都市東山区に編入。
1951年(昭和26年)6月 東山区役所山科支所が発足。
1976年(昭和51年)10月1日 東山区から分区され山科区となる。

醍醐味の語源となった地 醍醐

山科区総合庁舎 奈良海道から望む醍醐寺外観

平安時代の初め、修行の場を求めていた聖宝が、笠取山に湧く醍醐水を「醍醐味なるかな」と美味そうに飲む地主神に出会い開いたのが醍醐寺と呼ばれています。醍醐味とは最高の味という意味で現在知られていますが、このあたりの地名の由来となっています。

醍醐地区は山科区南部を接しており、同一の生活圏・経済圏を共有しています。醍醐地区と山科区の繋がりは伏見区中心部と醍醐地区の繋がりよりも深いと言われています。

山科・醍醐の史跡

天智天皇陵

天智天皇陵

天智天皇陵(御廟野古墳)は山科区御陵にある古墳時代終末期の古墳です。京都に幾つかある天皇陵の中でも最古のものとなります。実は古墳は昔は○○天皇陵という風な呼び方をしていましたが、実際にはそれが本当に正しいものかどうかというのは分からない場合が多いそうです。仁徳天皇陵も現在では大仙古墳と呼ばれています。そういう意味においては御廟野古墳は天智天皇陵と呼称してもほとんど間違いがなく、このような古墳は非常に稀であり、他には天武・持統天皇の合葬陵である野口王墓があるだけだそうです。

近隣の住居となる「御陵」は「みささぎ」と読み、地元以外の方にはなかなか読める方がいません。

天智天皇陵
天智天皇陵
■ 天智天皇(626~671年)

舒明天皇と皇極天皇の子で、中大兄皇子。豪族の勢いをおさえて大化の改新をおし進め、天皇中心の政治のしくみをはっきりさせた。

勧修寺(かじゅうじ)

勧修寺 勧修寺の蓮の池

勧修寺は900年に醍醐天皇によって開かれた寺で皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院です。「勧修寺縁起」等によれば、醍醐天皇が若くして死去した生母藤原胤子の追善のため、胤子の祖父にあたる宮道弥益(みやじいやます)の邸宅跡を寺に改めたものだそうです。文明に2年兵火で焼失して衰退しましたが、江戸時代に入って徳川氏と皇室の援助により復興されました。

弥益の娘・宮道列子は藤原家の流れを汲む内大臣藤原高藤に嫁ぎましたが、高藤と列子のロマンスについては「今昔物語集」にも説話が残されています。

恋に効く「玉の輿伝説」のお寺として、京都醍醐ライオンズクラブでは平成21年に京都・やましな観光ウィークとして自治体と協力してイベントも行いました。

ちなみに勧修寺は(かじゅうじ)と読みますが、近隣の住所の「勧修寺○○町」はかんしゅうじと読みます。

勧修寺
勧修寺 観音堂
■ 醍醐天皇(885~930年)

平安中期の天皇。藤原氏の力をおさえ、摂政・関白をおかず、天皇みずから政治を行った。九〇七年、醍醐寺を勅願寺(天皇の庇護を受けた寺)と定め、あつく保護した。

隋心院(ずいしんいん)

小野隋心院 歌碑「花の色は」の歌が刻まれている

隋心院は991年(正暦2年)に創建された山科区小野にある真言宗の寺院です。寺の位置する山科区小野地区は小野氏の根拠地とされ、隋心院も小野小町ゆかりの寺としても知られてます。

宮中で仁明天皇に仕え歌人として知られる小野小町もこの地の出であり、宮中を退いて後も過ごしたとされています。随心院には小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像を始め文塚、化粧の井戸などいくつかの遺跡も残されています。

また境内には約230本の梅の木があり、見頃となる2月末から3月中旬には多くの観光客も訪れます。また静かな敷地に響く鶯(うぐいす)の鳴き声が時間を忘れさせてくれます。

小野 随心院
小野 隋心院
■ 小野小町(生没年不詳)

平安前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の1人。絶世の美女として七小町など数々の逸話があり、後世に能や浄瑠璃などの題材としても使われている。